大阪で考えさせられたこと
さっきアップした時にはあまりに趣きが違うので書きませんでしたがふっさんとぶらぶらしてるときにショッキングなことがありました。
道頓堀川沿いのデッキに座って話していると身障者の愛称をQちゃんという方が僕らの方へあごを使って運転する電動の車椅子でやってきて話しかけてきました。
初めは何を言っているのか聞き取れなかったけど、Qちゃんの椅子に置いてあるポーチに入っているチラシを取ってくれ、と。
取って見てみるとクッキーが○○円、とかコーヒーが○○円とかいろいろ書いてありました。
ある喫茶店の協力を受けて自分で商品を売って回っているとのこと。
(車椅子の後ろに商品を積んでいるらしい。)
その紙には「こんな僕でも社会の中で生きていきたい!」と書かれていました。
突然過ぎたのでよくわからないまま「お腹減ってないから」と断りましたがあれは実際どうなのだろう?本当にQちゃんはちゃんと見合った報酬を貰っているんだろうか?とか「こんな僕でも社会の中で生きていきたい」というメッセージは本当にQちゃんが考えたんだろうか?とかいろいろ考えてしまいました。
一通り営業をした後、スーツを着た男性に連れられていきましたがその人は誰?とも思いました。
世の中には身障者の方が不当な労働をさせられていることがよくあり、素直にこの人は偉いなあ、というように思えなくなってしまった僕みたいな人間がいっぱいいると思います。
また障害者自立支援法などという聞こえは良いが内情サイアクな法律のおかげで働かなければ生きていけなくなってしまっているんだろうか、など色々と考えさせられました。
たぶん嫌な気持ちになることも多々あるだろうし、健常者でもやらないようなことを続けなければいけないってのはどうだろう?と。
その後堀江公園にいるとさっきのところからはけっこう離れているのに、またQちゃんがやってきて公園にいる人達に営業をしていて、全く見向きもされず無視されているのも何度か見かけました。
僕はやっぱりこういうのを同情で買ってあげるのは違うな、と思いました。
健常者とQちゃんを同じ立場に置いて考えたときにこちらが欲していないのに飲み物や食べ物を売りに来るのはやっぱりダメでしょう。
(出店で売るのではなぜダメなんだろう?車椅子に乗って売るほうが売る人へ伝わりやすいから?断りづらいから?など邪推をしてしまいました。)
むしろうっとうしいくらいです。
ただそれを身障者の方に「うっとうしい」とはどんな受け取り方をされるかが分からないので言えません。
僕は普通のおじさんがいきなり頼みもしないのに売りにきたら、平気で「うっとうしい」と言えるので、そのことを僕がQちゃんに言えない時点で僕は区別しているのだろうと思ったし、やはり多くの人は社会に於いて公平に見てくれないんじゃないかな、と思いました。
こういったことをここに書くことも神経質になってしまうので躊躇したのですがいろいろ考えさせられたので書いておこうと思いました。
皆さんはどう思いますか?
(僕は買ってあげることも断ることも悪いことだとは思っていませんので、一応。)